「ターミナルケア(終末期医療)」がテーマで、甲府市で地道な医療に取り組んでいる内藤いづみ医師が講師でした。
地域のおじいちゃん、おばあちゃんから若い人まで大勢集まってくる。
なんでこれだけの人が引きつけられるのか。
ものを教えているという雰囲気がなくて、アットホームなせいでしょうか。
私がうかがった日は、の実のお父さんが危篤でした。
でもは、「もう十分なことをしてきたので」と言って、日ごろ大切にされているこの勉強会に出席していました。
お父さんは、その晩に亡くなられました。
ほろ酔い勉強会を通じて、お感じになっていることはありますか。
亡くなる直前、八十八歳の父と最期のビールを飲みました。
故郷の津軽三味線を聴きながら、孫にお湯で手と足をマッサージしてもらっての別れでした。
とても健康的な別れだったと思います。
ほろ酔い勉強会がなんで二十年続いてきたのかは、教える側と教えられる側に分かれるのではなく、一緒に健康な地域をつくろうという視点があるからだと思います。
もうひとつは、時代を見ていくという姿勢でしょう。
二十年前にぼくたちが健康づくり運動とか、ほろ酔い勉強会を始めたころは、戦後のベビーブーム世代が結婚して、第二期ベビーブームがやってきた時代でした。
その子どもたちが幼稚園とか保育所に行きたいけれども、田舎(この諏訪地方)では保育所の数が足りなくて、なかなか大変な状況でした。
保育所をつくるとか、子どもをどうやって安全に育てられるかというのが、一九七〇年から一九八〇年ぐらいの小さな地方都市の課題だったのです。
あの時代、ぼくらがほろ酔い勉強会で提起したのは、「それがいまの課題だけれど、十年後にはどうなるか考えようじゃないか」ということでした。
その結果、(十年後には)必ず高齢社会がやってくる―として、時代を先取りした議論を深めていったのです。
現在は、高齢社会は大変だと、みんなが一枚岩のようになって介護保険、高齢者問題、障害者問題に取り組んでいます。
だが、これから五年先、十年先に大切になってくるのは、安心して子どもが産めるだろうかとか、子どもを育てられるだろうかということでしょう。
先日のほろ酔い勉強会のテーマも、「どうやったら子どもを地域で安心して育てられるか」でした。
ぼくらには、「いま介護保険が大事だから、ほろ酔い勉強会という組織を利用して介護保険を浸透させよう」などという気持ちは毛頭ないのです。
固定観念で動いてはだめなんですね。
いつも視点を変え、長い日でものをとらえていく姿勢が大切だと思っています。
健康も、幻想に惑わされないために、長い目でものを見て判断することが大切です。
例えば、紅茶キノコを健康法として取り入れようか迷った場合、「果たして自分は十年後にこの紅茶キノコを飲んでいるだろうか」と考えてみるといいですね。
現代社会とストレス―内容や質はさまざまですが、これだけ医療情報があふれているのに、心の問題となると「人目はばかる精神科」というような、何となく後ろめたいというか、二の足を踏む傾向が依然としてあります。
健康ブームといっても目先のことが多く、心の問題や精神的なケアはないがしろにされていませんか。
心の健康について感じられていることをお聞かせください。
ずいぶん変わってきましたね。
ぼくが二十六年前、この土地にきたときに比べればものすごく変わりました。
しかし、まだまだオープンではありません。
「家族のなかに心の病を持った人がいるのは恥ずかしい」という思いが、農相地帯には依然あります。
ただ、精神科を受診することに抵抗感を持たない人は、確実に増えています。
うつ病の患者さんに、「内科の医師の手では無理があるので精神科を紹介しましょう」と話しても、「先生のところ(内科)がいい」と言う人がまれにいます。
精神科は何となくいやで、内科の方が安心なんでしょうね。
「心の病気は、心の専門家に診てもらう方がいいんだよ」と説明すると、分かる人たちは十人のうち九人ぐらいです。
一人は、「やっぱり内科がいい」と訴えます。
!九割もの人が精神科に行きますか……。
なかなかこうはいかないのが現状です。
のところでは、医師の対応や説明がきちんとしているのでしょう。
茅野市の場合、病気や健康に対する正しい知識を普及させてきたことも大きいのではと恩います。
心の痛に対する偏見、無理解に悩み苦しんでいる人はまだまだ多いですから。
ほろ酔い勉強会などが、住民の意識改革につながったようです。
精神に障害がある人も身体に障害がある人もみんな一猪、という感じの運動をずっと展開してきました。
住民自身が、自分がそうなったときも、隣人がそうなったときも、自分や隣人を否定しない、という雰囲気ができてきました。
がんばらない自分を認めてあげられるようになると、とても楽になります。
がんばれない隣人も認めてあげられるようになれば、イライラ、ギスギスした社会が少しゆとりのある社会になるような気がします。
現代の社会は精神的ストレスが多いのも事実ですが、一方で、「ストレスはよくない」とストレスそのものをバサッと切り捨てるような傾向もあります。
こうした見方も、また極端なように感じます。
そのへんは逆に飯島さんにお聞きしたいですね。
精神疲労や心の問題は、ずいぶん取材されているでしょう。
―先ほどもお話ししましたが、現代社会そのものが、コンピューター、電子機器に象徴されるように極めてデジタル化していますね。
それ自体が、生きものとしてのヒトにとっては精神的なストレスだと思います。
豊かで便利になった半面で、私たちは、効率化が進み時間に追われる生活、昼夜連続の二十四時間社会に生きています。
どうしてもぐったりした精神的な疲労をためがちですよね。
しかし、社会生活をする上でストレスがまったくないことはありえないわけで、逆にストレスがなければ、これまた精神的におかしくなります。
心を病まないためにはストレスにどう対応するか、が大切だと思いますし、ある程度のストレス(負荷)を負いながらものごとを進めたほうが意欲がわき、達成感もあります。
いけないストレスと、いいストレスがあって、その区分けは結果で見ていくのですか。
―職場とか学業への不適応、陰湿ないじめ、過剰過ぎるノルマなど、本質的に苦痛な精神的ストレスはあるでしょうが、結果よりも受け取り方、対応によって違ってくる側面も強いと思います。
ただ、一心不乱にものごとに取り組む人は、気がつかないうちに精神的なストレスをためがちです。
心が疲れているのにキャッチできず、身体側がSOSを訴えてくる心身症(慢性頭痛、胃・十二指腸潰瘍、過敏性腸症候群、円形脱毛症など)に陥りやすいですね。
一方、真面目で凡帳面、責任感が強く人間関係や社会のルール(規範)に気をつかいながら懸命に仕事をする人はうつ病になりやすい。
手を抜いていいことと、きちんと処理しなくてはならないことの重みづけ(整理)が苦手で、なんでも抱え込んでストレスをため込みすぎてしまう傾向があるとされます。
このように、うつ病になりやすい人は、社会的にはいい性格の持ち主で優等生が多いのです。
いい加減なことができない人格者でもあります。
ストレスをストレスと感じないまま、ものごとに懸命に取り組むうちに心がすり切れてしまうこともあるのですね。
そういう意味では、精神的なストレスは対応の仕方で、いいストレスにもなるし、悪いストレスにもなるのではないでしょうか。

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